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私は長崎県の五島列島で生まれました。2才の時に私が大病をしたのをきっかけに母の里の大分県に引っ越してきました。よそ者だった父の、大分での建設業スタートは、非常に大変だったらしく、かなり貧困の時が長かったようです。

家はトタン張りの借家で、築100年以上たっている土壁の家でした。大きな家でしたが、そのほとんどの所が土間で、台所・風呂・トイレはサンダルを履かないと行けない造りでした。汲み取りのトイレは別棟で、木の床に穴が開いているだけのトイレ。トイレと言うより便所・・・
夜中にトイレに行くのが怖くて、いつも姉と2人でトイレに行っていました。

お風呂も今で言うゴエモン風呂です。父も母も夜10時位まで現場で働いていたので、小学校1年生の姉と、幼稚園児の私が風呂を沸かしていました。今ではほとんど見ることが無くなったマキをくべるお風呂です。マキをくべるお風呂は、お湯の温度を一定にするのがとても難しいのです。

たまに母が早く帰ってきたら、一緒にお風呂に入ります。母は何度かマキをくべ直しに外へ出て、釜にマキを入れて、パタパタとあおいでいました。「湯加減、どう?」と母が聞きます。「いいよー!」と答えると、また、お風呂に戻ります。ほとんど湯船につかる時間のない母の背中がとても冷たかったのを覚えています。

父が家を新築してくれたのは私が小学校5年生のときでした。初めてガスのお風呂がつきました。
「あ〜、これでもう本当に楽になる!」と喜んでいた母の顔を今でも忘れることが出来ません。

 赤ちゃんの頃から現場にコロがされていた私は、本当に自然に「自分は大工になるんだ」と思っていました。母の喜ぶ顔や、お客さんの喜ぶ顔を沢山見ていたおかげで、小学校の作文にも   「お父さんよりすごい大工になる」や「棟梁になって弟子をいっぱい持つ」と書きました。
私が家造りを仕事に選んだのはすごく自然な流れからです。

  家が必要なとき。それは一体いつなのでしょうか?

本当に家が必要なのは「子育てのとき」と私は考えます。大学生になると都会に出ていく  子供も多いでしょう。結婚して別の場所で住む事もあるかもしれません。本当に子供たちと一緒に過ごせるのは、子育て時代のとき。

 長くて十何年。たとえば子供たちが高校生時代に家を出て、もし大学などで違う地域に住むようになったりすると、わずか数年。

 もし、新しい家を建てても、実はわずかな年数しか一緒に暮らせないのです。

 もちろん家は大きな買い物です。早く建てた方がいいと考えても、決して簡単な事ではありません。子育て世代はそれでなくてもお金が必要です。
 家造りに全てのお金をつぎ込むわけにはいきません。

 私はアパートを借りるくらいの金額で土地と家を持てる、そんな家造りをしていきたいのです。
それでいて、しっかりとこだわりの持てる、良くて安い家。

 子育て世代のお母さんが夢を持てる、子供達と少しでも長く暮らせる家。
そんな家造りをしていくのが私達の使命なのです。

 そんな私が小冊子を書きました。




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